川崎宿-神奈川宿-程ヶ谷宿-戸塚宿-藤沢宿-平塚宿
2日目に川崎宿の宿を立ってからの写真です。神奈川宿までは約10km。
国道15号につかず離れずな感じで歩きます。
川崎宿は松尾芭蕉が江戸の弟子達と最後の別れをした土地だそうです。
奥の細道を書き上げた後、芭蕉は西へ旅立ちそのたびの途中で客死するのですが、その旅に出る際に川崎宿で弟子達と別れたとか。
その際に読んだ句の碑が上野写真です。
鶴見川を渡ります。
このあたりは国道15号のすぐ隣の生活道路で、通勤時間帯、片側1車線、狭い歩道と、歩くのに怖い条件がそろっていました。
鶴見側をわたると横浜市鶴見区です。ここでも比較的旧東海道を大事にしているようで、あちこちに看板や碑が建っていました。
もっとも、一番立っていて欲しい分かれ道周辺に看板が無いので、歩く人にはあまり向いていません…
しばらく歩くと、生麦事件のあった旧生麦村です。現在でも生麦の名前は地名として残っています。
旧東海道と国道15号線の合流点のあたりに、生麦事件の碑が建っています。
せっかくなので、セルフタイマーで自分撮りしました。こんなな格好で歩いていました。
写真では見えないですが、財布などはウエストポーチに入れてあります。
サングラスは太陽がまぶしいと言うよりも、疲れている表情を晒して歩くのは危険であろうという判断からです。
まあ南とか西に向かって歩くので、まぶしいのも事実なんですが。
神奈川宿に到着です。横浜駅のすぐ近くなんですが、どちらかというと京急の神奈川駅の方が近いようです。現在の地名で言うと、横浜市神奈川区だと思います。
ここで国道15号は終わり、ここからは国道1号線が右党か移動を何となくトレースしています。もっとも、保土ヶ谷をすぎるまで1号線の上は歩かないのですが。
次の程ヶ谷宿まで、約5km。
このあたりでも旧東海道は観光資源として活用されています。
商店街にも旧東海道という名前が付いていたりしました。
程ヶ谷宿着です。現在の横浜市保土ヶ谷区ですね。本陣跡などがかなり良い状態で保存されています。
また、下の写真にあるように、一里塚の復元や松並木の復元なども行っており、かなり積極的に旧東海道を資源として活用しようとしています。
このあたりでは分かれ道にも看板がでていたりして、非常に親切でした。
ここまでで武蔵国は終了。戸塚宿からは相模国です。
戸塚宿まで、約9km。
駅伝好きには有名な権太坂です。もっとも、駅伝で走るのは1号線ですが、こちらは旧東海道の権太坂です。
江戸をでてから初めての難所で死人も多くでたと言われていますが、標高差も勾配もそこまできつくありません。
次の戸塚宿が第一泊というのが江戸時代の東海道旅行の平均的行程ですから、むしろ体力的に無理をした人がここで足を滑らせた、という話ではないかと思いました。
権太坂を昇ってからは、しばらく起伏のある尾根筋を歩くことになります。
こんな風に結構な下り坂もあって、絶望的な気分になります。
当然、この坂を下りきったあとには同じだけの上りが待っています。
尾根筋を歩いていると、保存状態の良い一里塚を見ることができます。
マイルストーンを一里塚と訳すことがあるためか、一里塚には石造、木造の碑が建っていると思っている人がいますが、誤解です。
一里塚は5間(約10m)四方の土盛りの塚で、そのてっぺんには木が植えてあるそうです。
1辺10mですから、高さもそれなりにあります。かなり巨大で、これなら碑など無くとも一目でわかるでしょう。
戸塚宿に到着です。現在の横浜市戸塚区です。
このあたりになると、もはや横浜市と呼ぶのには少々違和感を覚えます。すごく内陸です。
写真は、戸塚駅の駅舎です。
次の藤沢宿まで、約7km。
道中、お軽勘平戸塚山中道行の場碑という碑があります。
これに限らず、東海道沿いには歌舞伎や古典にちなんだ名所や碑がたくさんありました。
勘平切腹の場は当然大好きなので、ここでも記念写真です。
因みに、ここから先は体力的に辛くなってきて、とても自分撮りなどしている余裕は無くなってしまいます…
ここから箱根下りまで、ほぼ国道1号線の上を歩きます。
と言いつつ、いきなり国道1号線を少し外れ、遊行寺の坂を下り、藤沢橋をわたって藤沢宿に到着です。現在の藤沢市です。JR藤沢駅からは多少離れています。
この時点で、体力的には既に限界に近くなっており、旧東海道から少し外れたところに弁慶の首塚などがあったのですが、スルーしてしまいました。
次の平塚宿まで、約14km。遠い…
平塚宿までは、ほぼ国道1号線の上を歩きます。
旧東海道と国道1号線が合流するあたりに、四谷の地名を見つけました。かなり見づらい写真ですが、写真中央、赤信号の左にある交差点名が「四谷」になっているのがわかるでしょうか。。
お岩さんで有名な東海道四谷怪談ですが、名目上はこの藤沢周辺の四谷を舞台としています。江戸時代、江戸市内での殺人事件等をあつかった芝居は上演が許可されなかったので、名目上はこのように地方の出来事として扱ったと言われています。
この写真はまだ明るいですが、このあとすぐに日が沈み、平塚まで数時間、暗い中の行軍でした。
国道1号線沿いなので街灯もしっかり整備されており、また、住宅街で結構明るかったから特に危険は感じませんでしたが、やはり精神的には辛かったです。
平塚宿着。現在の平塚市です。写真はJR平塚駅です。
着いた段階では写真を撮る気力が残っていなかったので、この写真は翌朝撮っています。
この日の移動距離は、およそ45km程度です。