平塚宿-大磯宿-小田原宿-箱根宿
箱根宿-三島宿

3日目と4日目は写真が少ないので、1ページにまとめてしまいます。
まずは3日目、平塚宿から箱根宿までの写真です。
平塚から箱根の麓まで、多少脇にそれることもありますが、基本的に国道1号線の上を歩きます。

平塚駅周辺には、番町皿屋敷で殺されるお菊を祀った塚があるそうですが、残念ながら見つけられませんでした。
岡本綺堂の番町更屋敷、大好きなんで、是非記念写真を撮りたかったのですが…

alt alt 大磯宿の近辺には化粧坂(けわいざか)という地名があります。
曽我五郎の恋人が化粧坂の少将で、この地名から名前がとられているようです。
曽我十郎のほうの恋人が大磯の虎ですから、二人ともこのあたりの人だったわけですね。
付近には大磯の虎(虎御前)ゆかりの名所がいくつかありました。

歌舞伎を知らない人にはさっぱりな話だと思いますが、曾我兄弟の話しくらいは教養として知っておくといいんじゃないかなーとか思っていたりします。日本三大仇討ちの一つなわけですし。

alt 伊藤博文の別邸、滄浪閣です。
大日本帝国憲法の草案ってこの辺で作ったんだっけと思って撮ったんですが、調べたら滄浪閣を建てたのは憲法草案を作った後でした。
草案を作ったのは、横須賀の方の別邸らしいです。

この後、大磯宿、小田原宿と続くのですが、へばっていたので写真がありません…
箱根の麓からは旧東海道と国道1号線が大きく離れます。
国道1号線は箱根湯本-塔ノ沢-大平台-宮ノ下-小涌谷-芦の湯-元箱根と温泉地を通りながら、傾斜がきつくならないように大きく遠回りして進みます。
対して、旧東海道は箱根湯本の手前から元箱根までほぼ一直線です。
行程は1号線のおよそ半分ですが、傾斜がきついのと、元箱根まで行かないと宿がないことから今回は1号線沿いに遠回りしました。

alt ということで、一気に箱根湯本も通り過ぎて大平台に進む途中です。
群馬人なので、山にはいるとテンションがあがって写真を撮る元気が出てきました(笑)
写真は、箱根駅伝で有名な箱根登山手鉄道の陸橋です。暗くてほとんど見えませんが…

alt 同じく、箱根駅伝で有名な箱根のヘアピンカーブです。
これをすぎるとすぐに大平台、さらにしばらく歩くと3日目の宿のある宮ノ下に着きます。

このあと宮ノ下まで歩いて、3日目終了です。
歩いた距離は、30km弱といったところでしょうか。

このまま4日目にGO!です。
4日目は出発してしばらくしたところで雨が降り出したため、ほとんど写真を撮っていません。

alt 小涌谷に到着したところで一枚
そろそろ箱根もてっぺんが見える頃で、景色が非常に良かったです。
写真には上手く写っていないのがとても残念ですが標高がだいぶ高いのはわかると思います。

ここから芦の湯あたりのあいだは、明らかにそれまでと植生が変わり、笹が多く生えていました。
道路脇には雪も残っており、だいぶ高いところに来たんだなと感動しました。

alt 芦の湯周辺は少しくぼんでいるので、いったん峠を越えて下ります。
芦の湯を後にする坂を登り切ったところが箱根路の最高点です。
看板によれば、標高874m。
大磯あたりではもろに海辺を歩いていたわけで、標高差870mをそのまま昇って来たわけです。
なかなかすごい経験です。

この看板を通り過ぎたあたりで雨が降ってきました。
ですので、これ以降は写真が少ないです。
曾我兄弟と虎御前の墓など、記念写真スポットはいくつかあったのですが、残念です。

alt 権現坂を下って、元箱根のレストランで休憩した際に撮った芦ノ湖の写真です。
このあたりは、軽井沢と併せてコクドの発祥の地みたいなものですから、タクシーやバスなど、そこら中に緑・赤・青のライオンズカラーが見られます。

ここをすぎると、箱根峠まで軽く登った後は三島まで15kmほど延々下ります。
非常にきつい下りでして、膝にも来ますし、体力もがりがり削られます。
しかも、雨天のため道ばたで休憩するのが難しく、かなりの強行軍となってしまいました。
上りの道は旧東海道と国道1号線が全く異なるルートを走っていますが、下りの道は旧東海道を中心線に、1号線がうねっているだけで、通る道筋はあまり変わりません。
旧街道は舗装路と未舗装路が入り交じっているのですが、試しに舗装されているところを下ってみたところ、半端じゃない傾斜でした。
絶対お勧めしません。素直に1号線を下るのが賢い選択です。

下りには特にめぼしいものもなく、延々三島まで歩きました。
この日の行程、約25km程度です。